岩根山定点観察
2003年8月23日校

澤山輝彦


 ソライロタケがあった。数日前、同じ山系の鳥脇山近くで7本見たからここにもあるにちがいない、と思っていたが1本出てくれた。これは彼等の仁義であり、彼等も格好は付けているのだ。それにしても鮮やかな空色だった。なんでキノコにこんな色が出るのだろう。人目を引くなら赤になる方がよかったのに。彼等はソライロを選んだ。赤色と惜別し補色関係にある緑になろうと思ったのだが、そこにはワカクサタケがすでにいた。空色はきれいなもんだ。歴史的にも古くからある色ではないか。そこで彼等は躊躇することなくソライロになることをいつの日か決定し、種としてソライロタケと名乗ってもいいなと思っていた所、現れた命名者がすっかりそのつもりになってソライロタケとしてくれたものだから、めでたしめでたしとなった次第であるのだ。ソライロ関係の色にこだわればツユクサの花も相当きれいな青色をしている。だのに何故か同じ青でもヒマラヤのケシはとてつもなく名をなしているが、ツユクサは単なる雑草の位置におとしめられてしまっているのはどうもよくないことで、もっとツユクサは値打ちをつけられてもいい花なのだと気の毒可哀想きれいだという気持ちを混ぜ合わせた視線を送っているのであるが、ツユクサにはこの心は通じないようだ。ツユクサの青に比べると、ソライロタケの空色は控えめである。sorairoこの母音を多く含む音からも刺激性は感じられない。このゆるやかさがまたすばらしいのだ。


ソライロタケ  撮影 桝井亮


 赤は刺激的である。akaはどっちから読んでも赤であり、Kを挟む二つのAの存在も刺激を増す。赤は特別だ。赤のつく花や木は多いし、赤のつくキノコもいろいろある。木の実は赤が主流だ。赤が強烈であるのはやはり血との結び付きがあるからだ。警戒灯を点けてパトカーが走る。覆面パトカーならなおさらいい。私はあのパトカーの到着地点に展開する事件を勝手に想像する。血の色に染まる場面を想像していることが多い。消防自動車の赤色もいい。空色の消防自動車があれば、消火に結び付くイメージが生じていいのではないか。単純だけれど、青、空色はどうしても水というイメージに結びついてしまうのだ。でもやはり空色では弱々しいのだろう。赤色で火でもって火を制する、こんなイメージの方が頼りがいがあるのかもしれない。集中豪雨で水が断たれた所へ出動した給水車は空色ではなかったな。給水車こそ水を待つ細胞が喜びにふるえるような深遠な空色に塗られるべきであるのに、なぜかそれを見ない。空色は馬鹿にされているのだ。もっと空色は奮起しなくてはならないし、我々も空色を応援してやらねばならない。どうすればいいか、一日一度は空を見上げ、青空をみて空色だ空色だ空色だと三度言うのだ。これだけでいい。赤でいい忘れたことが一つある。神楽を舞ったり、おみくじや神社グッズを売ったりしている巫女さん、彼女達の制服、あの赤と白、あれはいいなあ。特に赤い袴、何と言うのだろうあれはいい。あれは激しく私を刺激するのだ。(そんなんあんただけや)

 テングノメシガイもたくさん見つけた。こんな小さな物をテングのメシガイだなんて、誰が名付けたのだろう。テングを冒涜するものである。テングのメシガイなんてこんな物ではない。天狗がままごとをするのならこれは子供天狗の遊び道具としてあってもいいのだが、ままごとをするのは人間だけで天狗はままごとはしない。人間だけがいろんな小型道具を使って大人の生活を遊ぶままごとをする。ままごと遊びは場と環境次第で禁断の遊びお医者さんごっこに発展することがままある。天狗はままごとなんてしないが、お医者さんごっこはする。主訴は鼻の短さを治したいというのが多いそうだ。

 天狗はあんな小さなものをテングノメシガイだなんて名付けられてはいい気はしないのだが、今更どうにもならないから黙っているのだ。強い物、強力な物にテングという名をかぶせて使ってもらっていることを彼等は知っている。彼等は怒らない。彼等は強いんだから。

 


戻る