みどりを読む(2)
法橋 和彦
この滅びの色をもっとも的確に表現したものがトーマス・H・クックだった。彼は"The Chatham School Affair"(原題=チャタム校事件。邦訳名=緋色の記憶。訳=鴻巣友季子。文芸春秋)でそれを実証した。
チャタム校は、その昔、灯台が三つもあったというコッド岬突端の漁村に建つ寄宿制の男子校だった。1926年の夏、そこへミス・チャニングが赴任してきた。彼女は父の感化で世界を周遊し、審美眼を身につけた実力派の美術教師で、いまアフリカからの帰国したてだった。
ミス・チャニングはミルフォード・コテージを新居にえらんだ。ここはかってボストン名門出身の若きミルフォードが花嫁のためにハネムーン用にたてた別荘だった。だがふたりはここでひとときも新婚の夜をすごすことはなかった。コテージへ向かう途中の自動車事故でふたりとも亡くなってしまったから。ミス・チャニングは長年放置されてきたこの無人の宿の扉をあけた最初の泊まり客となりついには最後の住人となるべき運命をいつのまにか背負ってしまっていた。
ミルフォード・コテッジは村はずれのうっそうとした森の奥にあって、まだ電気もひけていない。クックはその建ち住まいを心象風景風につぎのように描いている。
「ミルフォード・コテッジは猛々しい濃緑と、家の裏手に寄せる黒い池の水におびえて、縮こまっているかに見えた。その底知れない濁った淵は、まるで心臓にあいた大きな穴のようだった」と。
この「黒池」の対岸にチャタム校の英文学教師リードが妻のアビゲイルと幼いメアリと暮らしていた。やがて妻子あるリードはミス・チャニングと恋におち、かねてから神経を病むアビゲイルは自動車を運転中に黒池へ転落した。ドアが開かず、彼女は水死した。
その頃リードは手造りの帆船でひそかに漁村を出航していた。のちに発見された船に彼の姿はなく、船内には親友のクレイドック医師にあて、幼いメアリの後見をたのむという遺書一通が残されていた。ミス・チャニングが彼との逃避行をかたくなに拒んだ結果がこれだった。
その真相はだれにも読めぬまま、生き残ったミス・チャニングは世間の非難を一身に浴びることになる。彼女は告発され、アビゲイルにたいする殺人謀議だけでなく、リードとの姦通の罪でも裁かれた。1920年代のアメリカでは女性にとって姦通はいまだ重罪であったのだ。彼女はふたつの罪について一切の抗弁をひかえ、重刑をむしろ望んでうけいれ、獄中で衰弱死するのだが、アビゲイル殺しについては彼女の無実をかたく信じて疑わなかった人たちもいなくはなかった。この事件によって廃校をよぎなくされたチャタム校の校長と在学中の十五歳になるその息子ヘンリーがそうだった。ふたりは収監後も彼女と連絡をとりつづけるのである。だが善意の人たちにとって最大の不幸は冤罪を救済する法意識が当時のアメリカ社会にまったく希薄であつたことである。ミス・チャニングは一種、魔女狩の犠牲者にまつりあげられたのだ。
ヘンリーの少年時代は数十年をへても風化することのないミス・チャニングへの思い出とかたく結ばれている。彼女は言動ともに大胆かつ率直、つねに明朗だった。そのものおじしない気品と天成の美貌はだれの目にも眩しい存在であるかのように少年には思えたのである。彼はミス・チャニングの悲劇を教訓にしてやがて法曹界へとすすんだ。
いまこの事件を回想する老年のヘンリーが物語の進行につれてやがてまたあの清らかな少年時代のヘンリーへと変身し、その世界へと回帰していく。この不思議な心象のタイムスリップがこの物語を単なる風変わりな推理小説の域にとどめず、ゲーテ(ウイルヘルム・マイスター)やトルストイ(幼年・少年・青年時代)の流れをくむ教養(成長)小説=ビルトゥング・ロマンへと生成発展させる鍵をにぎっているかのように思えるのだ。
その秘密の鍵は物語の最終章にかくされていた。亡きリード夫妻の孤児メアリの登場がそれである。彼女は両親の死後、医師クレイドックの養女となり、ミドルネームのアリスを名のり、彼の遺産をくいつぶしてはや異常な老いを迎えつつある。今では「だらしのない大女になり、友だちもなく孤独な村の狂女として」老後を送っている。だが、かっての少年ヘンリーと、かっての幼女メアリ=アリスが、凧をあげて遊んだのは、ほんとうにそんな大昔のことだったのだろうか。
いま老いたアリスはヘンリーの目には「たいていおかしな服装をして、足の爪を緑色に塗り、不気味な想像の海に没しているようだった」としかうつらない。ヘンリーが少年に還って凧あげの話に誘っても、「アリスはこちらを見もせず、なにも答えなかった。」そしてこのあとに物語のクライマックスがおとずれるのだ。
「その顔から目をそらして、夜に包まれた海を見わたしていると、わたしを閉ざしていた殻、今の今まで引きこもってきたあの厚い殻が、突如として砕けちった。あたりの空気が暑くなった気がし、目の前に緑色の水面が広がったかと思うと、わたしは木の桟橋から水中に飛びこんでいた。とたんに世界は息もつまりそうな濃い緑に変わり、わたしは水を掻きながら、最初は車の後部に近づいて、そこから側面にまわり、目を皿のようにして車中をのぞきこんだが、あらゆるものが死の静寂に閉ざされ、必死で目を凝らしても、厚い緑の壁しか見えない。そのとき、濁った闇から女の顔が浮かびあがる。開いた目は絶望のまなざしでわたしを見つめ、あんぐり開いた口からは息をしようと喘ぐたびに血が波打って流れだす。わたしは車のドアノブをつかみ、彼女を水の墓場から救ってやろうと、ドアを引きあけようとするが、ふいに冷たく非情な声が、緑の闇をつらぬいて聞こえてくる。・・・(中略)・・・ミセス・リードは、今や死に物狂いの形相となってガラスに頬を押しつけている。頭を包むように血が渦を巻く向こうで、緑色の目がまたたく・・・」
「緑の壁」「緑の淵」そしてアビゲイルの「緑の目」・・・無言の幼女メアリ、いまは緑のペディキュアをしている痴呆のアリスと向きあううちに、少年ヘンリーはアビゲイルの横死を目撃した衝撃的な過去と向きあい、はじめてそれを回想することができたのだ。「あの厚い殻が、突如として砕け散った」のである。
アビゲイル殺しの容疑者にされたミス・チャニングは、チャタム校のどの生徒たちからも、さまざまなかたちで尊敬され、それぞれに愛され注目されていた。チャタム校閉校にいたる事件の最中に、生徒たちが作ってうたった歌詞の一部はこうだつた。暗い緑の水の底
悪いことも人殺しも
チャニング先生が
ひとりでつぐなった。
彼女が小さな漁村のバス停に降りたったときにクックの小説ははじまった。少年主人公ヘンリーの目は、そのとき「ブラウスの濃い緋色(スカーレット)の襟」と「まっ白な首筋」にやきついた。やがて彼女は不幸な新婚旅行の形見となった黒沼にのぞむミルフォード・コテッジの住人となる。
クックはこの小説で意識的に色にこだわった。言うまでもなくスカーレットはナザニエル・ホーソン『緋文字』(1850)の昔からAdultery(姦通)を象徴する色だった。そして白は高貴を物語り、黒は惨劇を意味した。これらの色彩は回想が事件の真相へと沈下するにつれ、あらためて緑の補色として浮上してくるのだった。
この最終章を飾る色彩感覚の異常な冴えが老ヘンリーのかかえる大昔の事件をバーチャル・リアリティで描くことをやめさせ、バーチャル・リアリティはむしろ緑の幻視によって主人公ヘンリーをはるかかなたの少年時代の世界へと回帰させているのだ。
1997年度のエドガー賞をうけたクックの名作『チャタム校事件』にでてくる緑はもう繰りかえすまでもなく大手拓次の伝統にたつ滅びの色にほかならない。しかしぼくはその悲劇の色をすでにロシアさいごの農村詩人、セルゲイ・エセーニンからとっくに学んでいたはずだった・・・。