みどりを読む(1)

法橋 和彦


 ペルシャ絨毯って命を編みこんでいるの。人の命よりずっと長い・・・
 ペルシャ絨毯のすばらしさを知りたい? ではまず機糸(いと)の染色(いろ)からおぼえなけりゃ・・・。色がとても大切なの。
青はペルシャ語でアービ、赤はゲルメス、そしてこれが緑。緑はサーブツというの。そうサーブツ、緑は聖なる色よ。
少女サクラは母を輪禍で亡くした。あのとき母は四十年に一度、飛騨高山におとづれる桜祭りのために、見送り幕のデザインを仕上げたばかりだった。
 いまサクラはイランの古都イスファハンで母の形見の図柄がぺルシャ絨毯によみがえる瞬間を待っている。そのために懸命に働く人びととの暮らしのなかでサクラはあの日の母の言葉を思いだしている。「・・・そう、緑はサーブツというの・・・」
 日本イラン合作映画『風の絨毯』(カマル・タブリーズィー監督)は毛玉の染めとその乾燥が物語の進行をつかさどっている。そしてその舞台裏では白いたて糸にたぐりこまれる無数の色糸がペルシャ絨毯の命をつむぎだしていく。ここにはじめて死と生の主題がともされる。
 白いたて糸は静止し死を粧う。色糸がその死相を徐々に消していく。こうして白い死はもはや二度と死ぬことがないまでに色糸で充填される。死を不死へといざなうのが色糸のつとめだった。
 ぺルシャ絨毯は「色がとても大切なの」とサクラに語った母の真意がここによみがえる。織りあがった絨毯はさいごに残った白いたて糸を切断する。この儀式によって死は不死へと転生する。白い死はもはや二度と死ぬことがない。その瞬間をサクラもみつめた。イスファハンから飛騨の舞台までカメラアイはこの主題をみごとにとらえたのであった。
『風の絨毯』をみながら、いつしかぼくはそれに大手拓次の詩をかさねていた。拓次の詩の特色はその色遣いの不思議にある。たとえば『みどり色の蛇』をみよ。

・・・・・・・
その腹には春の情感のうろこが
らんらんと金にもえてゐる。
みどり色の蛇よ、
ねんばりしたその執著を路ばたにうゑながら、
ひとあし、ひとあし
春の肌にはひつてゆく。
・・・・・・・
        みどり色の蛇よ、
白い柩のゆめをすてて、
かなしみにあふれた春のまぶたへ
つよい恋をおくれ、
そのみどりのからだがやぶれるまで。
           ・・・・・・・

 また「みどり」を『暁の香料』では。

        みどりの毛
        みどりのたましひ、
        あふれる騒擾のみどりの笛、
           ・・・・・・・
        いま、わきかへるみどりの香料の鐘をつく

『手の色の相』は色の万華鏡である。

           ・・・・・・・
        赤はうれいごと
        黄はよろこびごと、
        紫は知らぬ運動の転回、
        青は希望のはなれるかたち、
        そして銀と黒との手の色は、
        いつはりのない狂気の道すぢを語る。

『小用してゐる月』では。

        濃いみどりいろの香水びん、
        きもちのいい細長いこのびんのほとりに、
        すひよせられてうっとりとゆめをみるなまけもの。
        びんのあをさは月のいろ、
        びんのあをさは小用してゐる月のしかめづら、
           ・・・・・・・

あるいは三十六色の『薔薇の散策』中、その十八番は。

        みどりのなかに生ひいでた手も足も風に
        あふれる薔薇の花
 
「この動揺し戦慄する夜のふかい底からわきあがってきて私をひき去ろうとするものが」―――拓次の『緑の悪魔』であった。なかでも散文詩『噴水の上に眠るものの声』は色を連繋する言葉の圧巻であろうか。
 「白い言葉と黒い言葉とをつなぎ、黄色い言葉と黒い言葉とをつなぎ、青の言葉と赤の言葉とを、みどりの言葉と黒い言葉とを、空色の言葉と淡紅色(ときいろ)の言葉をつなぎ、・・・・」―――まさに拓次の詩に色ならざる言葉はなかったかにみえる。
 なかでも拓次の詩の世界で、その最大限の酷使にもよく堪えて、拓次独特の思想性を肌に感じさせるような一色をえらべば緑をおいて他にあるまい。
 「・・・みどりの円柱のうへに暗黒の葬礼をとほらせる。・・・花々をおほひかくして沈め、そのにほひをはるかにおくり、みどりの艶麗なる言葉をもってあたりいちめんに飾りつくす。・・・」(『霧のなかに蹄を聴く』より)

 拓次における色彩の言葉はそれ自体がひとつの思想にほかならない。みどりにつていはこうも述べている。「感覚の吸収するものは、みどり色の水である。それは、絶えざるあたらしさに濡れてゐるのである」と。
 こうした拓次の華麗な色彩詩はフランスの象徴詩人たちによってつちかわれた。たとえばレミー・ド・グルモンの『薔薇の連祷』中の「青銅の色、火の色、肉食の、桜色の紅玉色の、朱色の、淡紅色の、暗褐色の、嬰粟色の、青と黒との、石盤色の、芍薬色の、雪のやうな、透明な、蛋白石の、紫水晶の、濃紅色の、黄金の、薔薇の花」たちが拓次を色の世界へと誘う扉をあけた。そして誰よりも二十三歳の若き拓次を熱狂させたのがシャルル・ボードレールであった。かれの『悪の華』が拓次を色の世界へとかりたてた。拓次の訳した"Parfam exotique"(異国のにほひ)をボードレールは「みどり色の羅望女(タマリニエ)のにほひが/わたしの霊魂のなかで水夫のうたともつれあふ」と結ぶ。詩人拓次の原点、あるいは緑との出会いはボードレールのこの「みどり色のタマリニエのにほひ」(Pendant que le parfam des vertstamariniers)にほかならない。
 タマリニエは熱帯地方の豆科の蔓性植物である。そういえば『風の絨毯』にもこの「タマリニエのにほひ」でみどりの色糸をたぐるちいさな織り子が紹介される。彼女の登場がどれほど単調な徹夜仕事に緊張感をあたえたことか。
 目のみえない少女マータブは糸のにおいで色を識別する天才的な織り子だった。デザインが織り数で歌のようによみあげられると、名手マータブの手もとで綾とりのように色糸がおどりだす。ボードレールとおなじく、名もない少女マータブにおいても色と匂いの同定は新しく創造された世界の象徴であった。
 大手拓次はこのボードレールをも超え、色の言葉で世界を識別する技術を完成させた。
拓次は予言するかのように『風の絨毯』の世界をこう読んでいた。
 「ありとあらゆる感覚の絹の色糸を能ふかぎりのばし、ひろげ、ときほぐし、日に日をかをらせ、飾り、編み、織り、ひかりのごとく遍通せしめよ。かくして、そのおどろくばかりの無数の色糸を、ただひとすぢの透明なる無色の糸となし、形なき糸となしをはるのである。
そしてまたつづけてこうも書く。
 「色もない、形もない、ぼうぼうともえてゐる透明なる糸のふるへこそ、私の詩のすがたである」と。これが拓次の詩精神であり、詩人たることの宣言であった。
 拓次の詩ではもっとも明るい輝く太陽の色が黄色である。この黄色はゴッホやゴーギャンの黄色と通じている。それにくらべ拓次のみどりは複雑だ。ときには無限、成長、豊饒、多産、ときには人をして騒擾へと向わしめ、自由なたましいと交流する香料の匂いをかきたてる。

        一人の生きるために
        万人の生きるために
        民衆のうへにみどりの火をかざせ。
        
        一人の死をとむらふために、
        万人の死をとむらふために、
        民衆のうへに青銅の鉦をならせ。
                            『一人のために 万人のために』

 拓次がひとつの言葉に色をえらぶとき、おのれのもえあがる全存在をそれに賭けた。「はるかな神の呼吸にかよふ刹那」を詩にとらえんがためだった。生死についていえば織り台のたて糸と同じく拓次の白は死を意味した。


        しろきうを
        かさなりて 死せり
                     『死』

 大手拓次(1887〜1934)は、結核の痼疾がこうじるままに四十六歳の春にみまかっている。避病院での孤独死だった。生前には一冊の詩集も持たなかった。
 拓次について原子朗は彼の詩を編みつつこう書いた。「学生時代から友人もほとんどいず、詩壇づきあいも無に等しかった。・・・家庭もなく、まともな恋愛や結婚の経験もなく、生涯を孤独で終わった」と。つづけて萩原朔太郎の言葉が紹介される。拓次は「仏蘭西語の書物以外に、日本語の本を殆ど読んでいなかった。」あるいは彼は「永遠の童貞だつた」と。
 拓次は早稲田の英文科に通ったが一冊の英語の本も読まなかった。丸善で買った『悪の華』を座右に七年をすごし、フランス象徴詩論で八年目の春に英文科を卒業した。あとにもさきにもこのような例はさすがの早稲田にもなかったという。
 拓次がボードレールから学んだ「みどり」にたいするこだわりは、おそらく西条八十の愛した「みどりの風」や「みどりの髪」の美の対極にあるなにものかを指向している。それはたとえば、おどろおどろしい緑の藻に覆われた無人の湖沼の水底を這いずる蛇の鱗片のぬめりにしか読みこむほかない不毛のみどりでもあった。
 一見、豊饒を匂わせる拓次のみどりは、じつは肉体の不毛や魂の闇へと向うための擬似色だったのかもしれない。みどりは拓次が愛したいわば滅びの色ではなかったか。

戻る