友沢ミミヨの『きのこ旅行』

Dr.マダラーノフ


青林工藝舎 ISBN: 4-88379-073-8
本体1200円
初版: 2001.1.25


[いとおしさ一杯のきのこ旅行記]
 あやしくもあぶなっかしいコミックが今世紀初頭に世に出た。
 友沢ミミヨさんの92年〜98年に月刊「ガロ」ほかで描かれたものの加筆改訂作品集だが、こうしてあらためて編年体で眺めてみると友沢さんの過ぐる世紀末の起き伏しはタイトル通りキノコ世界と隣りあわせの日々であつたことがみてとれる。この作家自身がこちらの世界に押しとどまっていること自体、奇跡というほかないきわどさを秘めているところがこの作品集のすごさだ。

 遺書を書いた作家が遺書という表現のマジックにより自殺を断念したということは過去にも数例あったが、おそらく友沢氏も表現することによりあちらの世界への没入をかろうじてふみとどまっている稀有な作家とお見受けした。

 この作品集はほとんどが古典作品のパロディーだが、それぞれのパロディーも物語の展開も中途半端な形で終わっている。いや、終わらざるを得なかったというほうが正しいのかも知れない。

 彼女?の作品で比較的安心して読めるものは「キンザザ」だ。これはロシア映画の『不思議惑星キン・ザ・ザ』をあからさまにもじったようにみせかけた浦島太郎的なトリップ感覚を下敷きにした母子の物語りだが、「行っちゃったままで良いよ」みたいな終わり方をしているから安心なのだ。日常感覚を取りもどしたところで終わっているのがなんともハリウッド映画の終幕のようでホッとする。この『きのこ旅行』の最終章に「キンザザ」を置いているのは、編集者の読者にたいするせめてものサービスだろうが、なにか友沢氏の<それから…>までもがハッピーにこじんまりとまとまってしまうような印象でとてもまずい終わり方だと私などは思ってしまう。「もっと不安に、もっと危うく生きてほしいぜ」と他人事ながら思ってしまうのは他人の不幸をつい望んでしまう私の心根の悪さなのかもしれないが。

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 しかし、読み終えてそっと目を閉じると「ひょうたんっ子」<94年6月>の通奏低音である♪きのこの山でおきたことは……決して口外してはなりませぬ♪♪きのこの山でおきることは……あらぬことなのですから♪という呪文めいた言葉がどこからともなく聞こえてくる。どうあがいても、どこからともなく死の臭いが色濃くまつわりついてくるところがこの作品集のかけがえのなさだ。

 <臭いものには蓋>式の現代社会にあってこうした異臭を放ち続けることのできる作家が絶滅危惧種に認定されないままに絶滅に瀕しているのは残念でならない。今世紀に入ってヘテロソフィア的な火急の課題がいよいよ現実のものとなりつつあるようだ。ふんばってね。ミミヨちゃん!

[きのこ採りの本当の魅力とは]
 ひるがえって、マダラーノフがきのこに魅せられた唯ひとつの理由は、このまるごときのこのタブー感覚なのだ。きのこ好きなら誰でも体験していることだが、きのこ採りとは、人里に隣りあわせた野山や街中の公園で一本のきのこを見つけた瞬間からはじまる軽いトランス状態におちいることで、現実世界と紙一重の異界へ滑り込み、これまで見えていなかったきのこたちがいっせいにおもてをあげほほえみかけてくる中をさすらい、ひと吹きの風や人語により、突然の中断をもって日常世界に立ち帰ることを繰り返すことなのだ。いわば呪術師(シャーマン)的な神がかり現象に近似している。そしてその掌中には夢の名残りのキノコだけが、まるで異界からの忘れ形見のように残っている。

 この感覚はよろこびというよりも魂魄遊離や没我に近いスリリングなものだが、マジック・マッシュルームによるトリップなど、このきのこ採りのスリルに比べれば、まったく色あせたものとなってしまう。きのこ採りの本当の面白さは、わたしたちの日常生活が常にこの異界ととなりあわせであることを気づかせてくれることにあるのだ。映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』も友沢ミミヨの『きのこ旅行』も日常意識の中で異界を対置させることで、わたしたちの安住しているかに見える現実が如何にあやふやなものかをするどく突いてくるから面白いのだ。


[きのこ狩人・新世代]
 最近では野山のきのこのみならず、町中の雑貨店で人工のきのこグッズをさがす人たちの間でも同様の興奮を感じていることが判明、これらの新しいきのこの狩人たちはまぎれもなくヒッピーのドラッグ・カルチャーの新世代をになう人たちなのだが、きのこと出会う旅をたのしみながら、友沢ミミヨ氏とはまたちがった異界体験をつづってほしいものだ。

[ヘテロソフィアの流れを体感するために]
 「きのこによって導かれる異界はわたしたちの外の世界にではなくむしろ内側の世界にある…」。きのこと出会い、きのこと親しむ生活を重ねる中でわたしはこうした思いを深めてきた。ヘテロソフィアがとくに表現行為を重視するのはそのためだ。そしてこの20年余りの間に実にさまざまな方法で異界探訪を続けている人たちとの出会いがあった。それらの人たちは、一様にきのこに代表される中間生物に深い関心を抱き、自身の想像力の源泉として心の奥深くに沈潜させつつ、身のまわりのたえまない変化をたのしんできた人たちだ。異界への往還を続け漂泊の旅をつづける人たちの軌跡をあとづけるためには、ヒトヨタケよりももっと烈しくわたしたち自身が液化し、流動化する必要がある。

そして、鮫のように流れる感覚を自身が肌で感じたそのときはじめてこの友沢ミミヨの世界が現実味を帯びて新たに立ちあがってくるのを実感できるようになるのだ。

この妖しくも危なげなコミックはわたしたちの意識の「ありそでなさそなさかいめの日暮れ」<さかいめ.94.年3月>を感じさせてくれる。自身の流動化のちょっとしたバロメーターとしてぜひ、ご高覧のほど。




『きのこ旅行』
(青林工藝舎)より

 


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